インタビュー「私の見た首都高」松任谷正隆さん

 初めて首都高に乗ったのは1969年、18歳のときでした。当時は杉並に住んでいたのですが、首都高はまだ高井戸まで来ていなかった。それで初台から乗り降りしていました。入って行くとき、勾配のきついスロープがあって、空に向かって飛び立って行くような感じ。その初台の入り口が、僕にとっての首都高のイメージですね。どこか未来的。空を飛びはしなかったけれど、空に近いところを走っているというイメージがあります。

 今でも首都高は頻繁に利用します。首都高にも東名にも1、2分のところに住んでいるので、首都高はウチから生えていると思っているんです。ここに家を買ったのは、車の便が最高にいい、という理由もありますね。うちの奥さんも首都高はしょっちゅう乗ってますよ。都心から帰るときに、下道が空いていても池尻から乗って用賀で降りるなんて使い方をしています。なぜと聞くと、「どんなに混んでいても信号がないから」と。

 僕は、将来的には首都高は自動運転になったらいいと思います。今はカーナビがあるから安心して走れるようになりましたけど、やっぱり首都高は複雑ですから。自動運転になったら、さぞかしいろんなことがスムーズになるだろうなと思いながら走っています。今はITSの技術も随分と進んできましたから、これからの首都高がどうなるかにも興味がありますね。

松任谷さん
松任谷正隆さん
1951年(昭和26年)11月19日、東京生まれ。
慶應大学(文学部)卒業。20歳頃からプロのスタジオプレイヤー活動を開始し、その後アレンジャー、プロデューサーとして松任谷由実をはじめ、吉田拓郎、松田聖子、ゆず、いきものがかり、など多くのアーティストの作品に携わる。1985年から続く「CAR GRAPHIC TV」のキャスターを務めるなど、モータージャーナリストとしての顔も持ち、「日本カー・オブ・ザ・イヤー」の選考委員でもある。
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