突撃!SHUTOKO
首都高カメラマンの平林靖敏さんに突撃!(その1)
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平林靖敏(ひらばやしやすとし)さんは、2000年から首都高の嘱託カメラマンとして活動されています。
社内報はもちろんのこと「首都高カレンダー」「首都高news」など、首都高の広報物には、平林さんの作品の数々が掲載されています。
カメラのファインダーを通して見た『首都高』について語っていただきました。
首都高に入社される前は、サンケイ新聞社にいらしたとのことですが、どのようなお仕事をされていたのですか。
1964年に入社して最初はサンケイスポーツの仕事をしていました。
1964年といえば東京オリンピック開催の年ですよね。
東京オリンピックの取材もやりましたよ。朝霞でのクレイ射撃や開会式会場周辺の雑感とかを撮っていました。
開会式の前日は土砂降りでしたけど、翌朝はすっごくいい天気でしたね。
サンケイスポーツに3年いて、そのあとにサンケイ新聞の国会担当になりました。会社にいるより国会議事堂にいる時間のほうが長かった。
それ以外にも、ヘリコプターに乗って取材をしたり、ニュースの取材で、ジェット機に乗って富士山の初冠雪を撮りに行ったりもしました。窓越しに撮影はできないので、扉を開けて上から見下ろすように撮らなければならないので、飛ばされないようにシートベルトをして、整備の人に抱えてもらいながら撮影したりして大変でしたね。
首都高に入社されたきっかけは何ですか。
2000年の1月にサンケイ新聞社を退職したのですが、首都高に前任でいらした方と国会担当時代に親しくしていたのが縁で、後任に推薦していただいて2000年の4月に首都高に入社しました。
首都高の印象はいかがでしたか。
建設関係だから男性の職場だと思っていたら、ずいぶんと女性の多い職場だなあと(笑)。新聞社はほとんど男性でしたから。
広報の仕事でいろいろな職場に行きましたけど皆さんが優しいなと、暖かみを実に感じましたね。
新聞社から首都高に移られて、例えば仕事の仕方などで戸惑いはありませんでしたか。
新聞社でいろいろなことを経験してきたので、戸惑いはありませんでしたね。例えば会社行事で動いている人々の撮影をするときもスポーツ担当をしていた経験があるからなんでもなかった。社長のインタビューで顔写真ひとつ撮ることも、みんなやってきたことですから。
新聞社での経験が、首都高でも生かされているということですね。
次回は、2005年に出版された写真集「東京まちかど伝説」や日々の撮影秘話をお届けします。

