RENEWAL

首都高リニューアルプロジェクト
羽田線(東品川・鮫洲)更新

インタビュー「1号羽田線(東品川・鮫洲)更新事業」の成り立ち

「1号羽田線(東品川・鮫洲)更新事業」を担当する東京西局プロジェクト本部の高橋三雅 本部長に、事業化の経緯や、苦労した点、更新への思いなどを聞きました。

高橋三雅氏

――高橋本部長はこの更新事業の首都高の現場責任者をされていますが、そもそも高橋さんのこの事業との関わりを教えてください。

高橋 首都高速道路を末永く安全・安心にご利用いただくために、2012年(平成24年)3月に、大規模修繕・大規模更新の個所を検討する、東京都市大学涌井史郎教授(当時)を委員長とした「首都高速道路の大規模更新のあり方に関する調査研究委員会」が発足しました。都合7回にも及ぶ真摯な議論をいただき、2013年(平成25年)1月に「提言」をいただきました。この提言を受け、当社として大規模修繕・大規模更新の事業化の手続きに入りました。私はそれ以降、大規模更新事業(一部除く)を担当しています。
 事業化に際しては、これまで経験のない大規模な造り替え事業の内容、必要性等を整理し、社内外の関係者と調整しながら手続きを進めなければならないため、2013年(平成25年)1月に、社内に計画・保全・建設の関係3課の職員から構成された特命の「大規模更新事業化作業チーム」が発足しました。10人余の少数精鋭のチームが日々、寝食を忘れ、事業化にまい進してくれました。いまでも大変感謝しています。

――高速1号羽田線(東品川・鮫洲)の事業化に際して、どのような困難がありましたか。

高橋 大規模更新箇所の中でも特に高速1号羽田線(東品川・鮫洲)は、道路のすぐ下に海面があり、海水の作用により構造物の損傷が進展しており、また足場の設置や船の進入が困難なため維持管理が非常に困難でした。そのために造り替え、大規模更新が必要となりました。事業化に当たっては、多くの方々に造り替えの必要性をご理解いただく必要があり、本当に多くの方々に現場を見ていただきました。今となっては懐かしい思い出です。

――工事を実施するに当たっての苦労した点はどのようなものがありましたか。

高橋 将来にわたって長持ちし、維持管理しやすい構造物に生まれ変わらせる必要がありましたし、工事によって交通に与える影響も可能な限り回避させる必要がありました。これまで経験のない内容及び規模の工事をいかに適切に進めるか、どのような手続きで工事契約を進めたらよいか、日々、上司とともに悩みました。
 基本的な工事計画の案は、当社のノウハウ・経験を踏まえ、チームで策定しました。いろいろな案を比較検討し、現在進めているう回路を用いた工事方法や基本的な構造案も整理しました。ただ、それが最良案であるとの確証はなく、民間建設会社の技術・ノウハウを導入する必要を感じました。
 そのような中、品確法(公共工事の品質確保の促進に関する法律)の改正により、多様な入札及び契約の方式の導入がされました。その中で、工事の仕様の確定が困難な場合、技術提案を公募し、その審査の結果を踏まえて選定した者と工法、価格等の交渉を行うことにより仕様を確定した上で契約する方式が可能となりました。言葉は難しいですが、要は民間建設会社の有意な技術・ノウハウを最大限適用する手法となります。この手法を適用することにしました。
 以降、この新たな手法適用に当たり、関係機関との調整はもとより、学識経験者の懇切丁寧なご指導もいただき、工事契約に至り、その後の円滑な工事の推進に結び付いています。当社にとっての初弾の大規模更新工事が順調に進捗しており、責任者としてホッとしています。やはり、日本の建設会社の技術の底力、施工に当たっての充実した体制などなどを日々感じています。

――最後に当該事業に対する今後の思いを聞かせてください。

高橋 事業化して5年余で、更新線の半分までが完成し、大変なスピード感で事業を進めることができたと考えています。傷んでいる道路を造り直すのは早ければ早いほどよいものですが、都市内の重交通の首都高速道路の造り替えは大変な調整と綿密な計画作りが必要で、当該工事も引き続き、とにかく安全第一に工事を進めていきたいと考えています。
 最後に、これまで事業を進めるに当たっては、やはり「人」の要素が大きいと感じています。職種も超えた社内の仲間たちの支援・連携、社外の方々・お客様の有形無形のご理解・ご支援等々がなければこの事業は進められませんでした。改めて感謝したいです。