Volume 1
電車からは見えない東京

 東京西部や埼玉に住んでいた子供の頃、家族でドライブをしても、都心を経由してどこかへ行く機会は滅多になく、首都高を通った記憶があまりない。一年半の会社員時代、茨城県に赴任していたのだが、譲り受けた軽自動車でよくドライブをしていた。ETC車載器もつけていない車で、よくわからないまま首都高を通り、江ノ島のあたりまで友人たちと行ったりした。

 その後専業小説家になり東京西部へ引っ越すと同時に、車を手放した。運転をしない期間が長くなると、車の運転が、ましてや多くの分岐路がある首都高を運転することのハードルが勝手にどんどん上がってくる。そういう先入観がなかった頃は、カーナビすらついていない軽自動車で余裕をもち首都高の運転などできていたのだが。

 芥川賞を受賞した年から、タクシーに乗る機会が増えた。テレビ局へ電車で行き、帰りはタクシーを出してもらったりというふうに。お台場のフジテレビから帰る際は、距離があるから必ず首都高に入る。仕事終わりなのでたいてい夜遅くの場合が多く、レインボーブリッジや東京タワーの近くを通る際は、東京にこんなにも綺麗な夜景があるのだと実感し、テンションが上がった。

 とあるビルの屋上に小倉優子さんが写っている「カーセブン」の広告看板があり、あのCMが流れていたのなんて一〇年ほど前だよなといつも思っていた。東京都心でそこだけ時間の流れが止まっている感じが面白かった……と思いつつ今調べてみたら、どうやら小倉さんは最近まで、というより現在もカーセブンの広告をやっているっぽい。つまりは、約一〇年間テレビのない生活を送っている僕自身の時間が止まっていたのか。

 他にも、とあるビルのガラス張りのスペースに高級スポーツカーが置かれていて、それは明らかに首都高を走る車の中にいる人たちに見せようとしている。かなりローカルな宣伝の仕方だが、首都高を走りながら見える綺麗な夜景の中に突如見える高そうな車というイメージは強烈で、効果的だ。

 ただ僕も二年前に車を買い自分で運転するようになって、首都高の同じ場所を通るのだが、自分で運転するとよそ見をしないから、それらの光景も見えなくなった。

(次回は9月更新予定です)

PROFILE羽田 圭介(はだ けいすけ・作家)

1985(昭和60)年、東京都生まれ。明治大学商学部卒業。2003(平成15)年、『黒冷水』で文藝賞を受賞しデビュー。2015年、『スクラップ・アンド・ビルド』で芥川賞受賞。他の著書に、『成功者K』『ポルシェ太郎』などがある。

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