筆者:今回は、群馬県太田市の観光スポットやグルメ情報をご紹介していきます。
一緒にご紹介していただきますのは、太田市役所産業環境部観光交流課のAさん(以下「Aさん」。)と太田市の公式キャラクターの「おおたん」です。そして、群馬県宣伝部長のぐんまちゃんも同行してくれています。
©群馬県 ぐんまちゃん 01241-01 ©太田市 おおたん承認番号7-22
筆者:それでは、Aさん、おおたん、ぐんまちゃん、よろしくお願いします。
おおたん:うん、最強バディと太田市を紹介していくよ。
筆者:それでは、最初に群馬県はどんなところなのか教えてください。
Aさん:ゆたかな自然や温泉など、たのしいところがたくさんあり、歴史と文化が魅力のところになります。あと、美味しい食べ物もたくさんありますよ。
群馬県は、6つの県と、隣り合っていまして、県の形は、鶴が空を飛んでいるような形をしています。
鶴が空を飛んでいるように見える群馬県ですが、太田市は、そのなかでも鶴の首の付け根あたりに位置しています。
筆者:群馬県には、上毛かるたという郷土の文化や歴史を伝えるかるたがあるというのは聞いたことがありますけど、どんなかるたなのでしょうか。
おおたん:うん、群馬県の人ならみんな知っている有名なかるたなんだ。
Aさん:そのなかでも「つ」は、「つるまうかたちのぐんまけん」という札になっています。県内の小学校等ではこの上毛かるたを使った授業や大会が行われていて、かるた遊びをしながら郷土のことを学習することができます。
Aさん:太田市の札もございます。「お」は、「おおたかなやまこそだてどんりゅう」という内容になります。

Aさん:上毛かるたの競技大会では、この「つ」のように群馬県全体を表した札を持っているかどうかで勝負が決まることがあります。
筆者:上毛かるたは、なんだか群馬のことをたくさん勉強できそうなかるたですね。もっと群馬県と太田市のことを知りたくなってきます。すでに群馬県の形は鶴が飛んでいるようにしか見えなくなってきました。
それでは、太田市はどんな歴史があるのでしょうか?
Aさん:太田市には、市内のいたる所に深い歴史をたたえた史跡や建造物が、街に溶け込むように存在しています。例えば、軍記物語『太平記』に登場する名将・新田義貞(にったよしさだ)が名を連ねる新田氏の居館跡等が含まれる新田荘遺跡などが有名です。新田義貞については、上毛かるたでは、「れ」の札が「歴史に名高い新田義貞」という札になっています。新田義貞は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて活躍した武将で、特に腐敗しつつあった鎌倉幕府を滅亡に追い込んだ最大の功労者の一人として知られています。
後醍醐天皇の倒幕の呼びかけに応じて、1333年に上野国(こうずけのくに=群馬県)で挙兵。鎌倉攻めでは、難攻不落の地であった鎌倉を攻めあぐねますが、『太平記』では、新田義貞が海に剣を投じて龍神に祈ったところ、潮が引き、海岸沿いに軍勢を進めることができた、という伝説的な描写とともに鎌倉市内に突入したとされています。挙兵からわずか15日ほどで鎌倉を陥落させ、北条高時をはじめとする北条一族を滅ぼし、約150年続いた鎌倉幕府を終焉に追い込んだという人物になります。
筆者:その歴史は、日本史で勉強したことがあります。江ノ島から鎌倉に向かって、稲村ケ崎付近を歩いていたときに、新田義貞の進軍ルートが描かれた案内看板を見たことがあります。太田市は、歴史の転換点となった鎌倉幕府の終焉にも縁があるのですね。新田義貞は、鎌倉から室町に歴史が転換するきっかけになったとても重要な人物ですね。
筆者:以下の写真は、現在の鎌倉市稲村ケ崎付近のものです。週末にはいつも渋滞していますが海岸沿いの道が整備されているので鎌倉方面に抜けるのも難しくはありません。しかし、波が激しく打ち寄せて海側が崖になっている稲村ケ崎の崖に沿って進んで行こうなんてルパン三世くらいしか思いつかない発想ですね。稲村ケ崎を登ってみると晴れていれば江ノ島や富士山も望めます。



稲村ケ崎の頂から見える江ノ島(画像中央)方面です。
筆者:それから稲村ケ崎に整備されている公園の一角には『稲村ヶ崎古戦場跡[新田義貞徒渉伝説地の碑]という石碑が建っています。

ここが太平記で描かれている伝説の場所だということを知らなければこの石碑は何だろうと気づかれないままになってしまいそうな印象です。景勝地としての稲村ケ崎だけでなく、この地が鎌倉時代に新田義貞が鎌倉幕府にピリオドを打った古戦場であったこと、そしてこの戦いに勝利した新田義貞のことをもっと多くの人に知ってもらって、新田義貞の縁の地である群馬県太田市にも観光に来て欲しいですね。
おおたん:うん、ぜひ多くの人に知ってもらえるとうれしいな。
Aさん:太田市内には、この新田義貞に関係するところがいろいろあって、円福寺、反町薬師、生品神社などがございます。特に、画像の生品神社は、この戦いで新田義貞が挙兵した場所として知られていまして、新田義貞の像も建立されています。

筆者:新田義貞が剣を両手で持っているので海に剣を投げ入れるシーンを像にしたものなのでしょうか。
Aさん:おそらくその伝説に基づくイメージなのかと思います。
Aさん:太田市には、新田氏の荘園であった「新田荘」に関する11箇所の遺跡からなる、国指定史跡「新田荘遺跡」がございます。新田荘歴史資料館では、新田荘遺跡を構成する、隣接の「長楽寺」や「東照宮」の貴重な文化財をはじめ、太田市の豊かな歴史を物語る古墳や埴輪など、多くの資料が保管・展示されています。
筆者:史跡新田荘遺跡は太田市の西半部に11箇所が点在しているのですべて見てまわるには、やはり車で移動するのが便利そうですね。電車の方は、東武伊勢崎線の世良田駅で下車すると、駅前に無料自転車の貸し出しをしているところがあります。
筆者:その他、太田市にはどんな歴史があるのでしょうか?
Aさん:新田義貞とも関係するのですが、太田市には、"太田市徳川町"という地名があるとおり、戦乱の世を治め、300年の太平の世の礎を築いた徳川家康公が「わが遠祖は、上野国新田の一族徳川(得川)氏である」ということで、祖先の地としています。
筆者:それは初耳でした。筆者は愛知県に住んでいた時期があるので徳川というとどうしても愛知県東部の岡崎あたりをイメージしてしまいます。しかし、徳川家のルーツは群馬県太田市にあるということなのですね、それはすごいお話です。
おおたん:そうなんだよ、すごいでしょ。
Aさん:あまり全国的には知られていないかもしれないのですが、徳川氏の祖は上野国新田郡一円を支配していた源氏の嫡流新田氏であるとされています。
平安時代末期の「後三年の役」の内乱を鎮定した源義家は、東国にその基盤を築き、義家の子義国は関東に下り、その長子義重が「新田荘」を開き、新田氏の祖となったそうです。
その新田義重は、1168年に世良田などの開拓の地を四男義季(よしすえ)に譲りました。新田(世良田)義季は上野国新田荘世良田郷(現在の群馬県太田市世良田町付近)を治めていました。また、徳川(または得川)を称したとされています。これが徳川氏の始まりと言われています。その後、義季の子孫である親氏(ちかうじ)は、父有親(ありちか)とともに諸国を放浪したのち、三河松平郷(愛知県豊田市)に住んで松平を称し、松平親氏と名乗ったそうです。その松平親氏の子孫である松平家康が後にふたたび徳川を名乗り徳川家康となったそうです。
筆者:そんな歴史があったのですね。じゃあ、今の東京の街があるのは太田市出身の偉人たちの歴史があってこそということも言えそうですね。なんかもっと積極的にアピールした方がよいのではないかと思いますが。
筆者:鎌倉幕府を終わらせた新田義貞だけでなく、江戸幕府を開いた徳川家康のルーツでもあるなんて、歴史の転換点には太田市が関係しているという感じですね。
おおたん:そうなんだ、歴史が好きな人はもちろん、それほどでもない人も太田市に来ていただいて、今の日本を築いてきた人を輩出してきた風土を感じて欲しいな。
筆者:それでは徳川のルーツを感じられる場所はどこがおすすめでしょうか?
Aさん:そうですね、いくつかありますが、初めての太田だったら、太田市の世良田町にある世良田東照宮がいいかもしれません。この世良田東照宮は名前からわかるように、「東照大権現」としての徳川家康を祭神とする東照宮の1つなのです。徳川家康は1616年に亡くなりますが、1617年に駿河国久能山(久能山東照宮)より下野国日光(日光東照宮)へ家康の遺骸を改葬した際に建てられた社殿を、三代将軍徳川家光が1644年にここ太田市世良田へ移築したもので、日光東照宮の元社殿や宝物などが移築されています。そのためここは、徳川氏発祥の地の東照宮として知られています。拝殿・唐門・本殿・鉄燈籠、宝物としての太刀や棟札が国の重要文化財に指定されています。本殿彫刻、左甚五郎作・狩野探幽画伝「巣籠りの鷹」が有名で、境内には、法照禅師月船琛海塔所や普光庵跡、真言院井戸などの中世の遺跡も残っています。また、隣接する文珠山の石造物群は開基であり、徳川氏の始祖である義季以下、徳川氏累代の墓所と伝わっています。

Aさん:残念ながら今は歴史的価値のある東照宮を永く保存していくための保存修理工事を行っている最中なので東照宮の拝殿等のお姿を直に拝むことができませんが、東照宮の雰囲気は味わうことができます。人形代祈願所などで参拝は可能ですので心身の穢れを払いたい方、良縁に恵まれたい方はぜひ訪れてみていただけたらと思います。
おおたん:ぜひ見に来て欲しいです。お待ちしています。
筆者:東照宮は、静岡や日光だけじゃなかったのですね。すごく勉強になりました。
Aさん:次に、徳川氏ゆかりの満徳寺というところを紹介します。ここは、いわゆる「縁切寺」で、女性から離縁を言い出せなかった江戸時代において、妻が飲んだくれの夫や暴力を振るう夫から逃れて駆け込み、一定期間滞在することで正式に離婚を成立させることができた幕府公認の尼寺の一つなのです。駆け込み寺というと分かりやすいでしょうか。縁切寺のような施設は世界的にも珍しく、日本では鎌倉時代にできた鎌倉市の東慶寺とここ満徳寺だけになります。

Aさん:太田市徳川町にあった満徳寺は徳川家康の長男で二代将軍の徳川秀忠の長女である千姫(せんひめ)が入寺したことでも有名です。(実際には千姫の身の回りの世話をしていた腰元が千姫の身代わりで入寺したとの説もあります。)
千姫は、1603年に豊臣秀吉の三男秀頼(ひでより)と結婚しますが、1615年大阪夏の陣で祖父徳川家康の命により落城する大阪城から救出されます。その後、満徳寺入寺により千姫を豊臣家と離縁させ、1616年には、桑名藩主・本多忠政の嫡男・本多忠刻と再婚することになります。満徳寺は、その後も徳川将軍家の庇護のもと縁切寺としての機能が維持されますが、明治維新により財政的基盤を失ったため廃寺となります。
筆者:孫娘(千姫)かわいさに大御所のおじいちゃん(家康)が頑張ったという歴史ですね。こんな激動の時代に生きた波乱万丈な千姫の人生は今すぐにでも大河ドラマになって欲しいストーリーです。千姫は2歳の時に豊臣秀頼と婚約させられますけれど、時代背景があるとはいえ、いくらなんでも早すぎますね。

Aさん:この門の先は、男子禁制の駆け込み寺(尼寺)の敷地なので、夫と離縁したい妻がこの門をくぐると夫はもう強引に連れ戻すことができなくなります。妻が履いている草履などを門の中に投げ入れるだけで、門をくぐったことになったといいます。追いかけて入ろうとする夫は役人に制止されます。
筆者:満徳寺については、資料館がありますので詳しくは現地を訪れてみてください。市原悦子さんが語り手となっている「まんが日本むかしばなし」風のアニメーション動画も流れていますので初めて訪れる方はこの動画を視聴されて駆け込み寺の仕組みをご理解されてから館内や敷地内をめぐってみてください。
筆者:他にも徳川家康に関係する場所は市内にございますか?
Aさん:上毛かるたの件でお話した太田市の札「お」の場所を紹介します。
筆者:上毛かるたの「お」の札、あれれ?どんな札でしたか?「おおたにせんしゅはきょうもホームラン」でしたか?
おおたん:「ちがうよ!「太田金山子育て呑龍」だよ!
筆者:そうだそうだ、金山とか子育て呑龍(どんりゅう)とか、謎の単語が出てきた札ですね。
Aさん:「金山」というのは、太田市役所や東武伊勢崎線の太田駅から北の方角にある標高239mほどの山のことで、山頂には、新田金山城という山城の遺構や新田神社がございます。その麓に大光院という子育て呑龍と親しまれているお寺があるのですが、このお寺を建立したのが徳川家康と言われています。
Aさん:徳川家康は、徳川一族の繁栄と天下泰平、さらにご先祖とされる新田義重の追善供養のため菩提寺を建立する計画を立て、今の東京タワーの南にある芝増上寺の観智国師(かんちこくし)に相談し、菩提寺建立の適地としてここ、太田金山南麓が選ばれたようです。 そして、観智国師の門弟のひとりといわれる呑龍上人(どんりゅうしょうにん)が招聘されて創建されたそうなのです。徳川氏の先祖である、新田義重を祀るお寺ですが、呑龍上人が貧しい子どもたちを引き取って育てたことから、「子育て呑龍」と呼ばれて広く親しまれるようになりました。今でもお宮参りや七五三といった子どものお祝い事の折にお参りされる方が多くいらっしゃいます。

筆者:撮影した日は、七五三の時期であったため境内にはたくさんの七五三を祝う親子連れでにぎわっておりました。この日七五三で呑龍様にお参りに群馬県内から来たというお母さまにお話をお聞きしました。
筆者:七五三には、こちらの呑龍様にお参りされるのが普通なのですか?
お母さま:そうですね、この辺りで七五三のお参りするときは太田の子育て呑龍様でほぼ一択という感じですね。群馬県民にとってここは上毛かるたでも有名ですからね。子どもが無事大きくなりましたと報告に来ます。私が子どもの頃の七五三も千歳飴を持って呑龍様にお参りする写真が残っています。
筆者:やはり上毛かるたにより伝承されていくのですね。本日はおめでとうございます。お時間いただきありがとうございました。
筆者:都内にも徳川家康が創建したお寺さんがいくつもありますが、群馬県のお寺の創建にも関わっていたのですね。太田市の歴史は、筆者の職場がある東京とも深い関係があることがよくわかりました。群馬県太田市は、歴史を勉強中の学生さんもですが、少しでも歴史に興味がある方は絶対に訪れて欲しい街ですね。縁結びのご利益のあるスピリチュアルなスポットもいろいろありますから。
筆者:ところでAさん、現代の太田市にはどんな産業があるのでしょうか?
Aさん:太田市は、なんといっても自動車産業の街で、株式会社SUBARU の大きな組み立て工場がございます。
筆者:筆者の家系はSUBARU 車ばかりを乗り継いできたのである程度SUBARU 車のことは分かります。
おおたん:じゃあSUBARU の方にお願いして特別に工場を見せてもらおうよ。
筆者:おおたん、ぜひお願いします。愛知の自動車メーカーの工場は仕事でよく見に行ったことがあるけれど、SUBARU 様の工場はどんな感じなのだろう。とても興味があります。
今、愛知のトヨタ自動車様とSUBARU 様が共同で自動車の開発を行ったりされていますが、太田市の歴史のなかでは、三河の岡崎城で産声をあげた徳川家康とつながりがあることを見てきたので、現代においても、三河の豊田市と上州の太田市が、日本を代表する大きな自動車会社でつながっているというのは、不思議な縁を感じますね。
株式会社SUBARU 様の歴史
おおたん:こんにちは株式会社SUBARU の平岡さん、櫻井さん、おおたんですよ。会社について教えてください。
株式会社SUBARUの平岡さん:SUBARU の歴史を遡ると、その起源は今から約100年前の1917年に中島知久平が創設した「飛行機研究所」でございます。
グループ会社12社の体制で小型飛行機の製造をしていたのですが、その12社のうちのひとつ、富士自動車工業が自動車開発に乗り出したことが、自動車メーカーとしての始まりになります。富士自動車工業、富士工業、大宮富士工業、東京富士産業、宇都宮車輛の5社が共同出資して、1953年に「富士重工業株式会社」を設立し、スバルブランドのクルマが生まれました。現在も使われている6つの星が輝くエンブレム「六連星」は、この5社と富士重工業を表すものでございます。
筆者:会社を星にたとえ会社の数に合わせて、おうし座にある「プレアデス星団」の和名(すばる)をブランド名とするなんてロマンティックですね。谷村新司さんの名曲(昴)は御社とは全く関係ないのですね。
平岡さん:自動車会社としてのスバルブランドが世の中に知られるようになるのは、国民車構想(国が中心となって一般市民が手に入れられる安価で高性能な大衆車の開発・普及を目指した計画)を実現した最初の自動車で、1958年に発売された「スバル360」という車が大ヒットしたことから始まると思います。
この国民車構想は、日本の自動車メーカーの研究開発を刺激し、後の国産乗用車の発展に大きな影響を与えることになります。

筆者:この画像のかわいいフォルムの車が日本の自動車産業の歴史に輝くスバル360です。筆者の実家の車もこのスバル360から始まりました。筆者が幼稚園に通う頃までこの車に家族4人がお弁当をバスケットに詰め込んで近くの河原や観光地にお出かけしました。車内のアナログなラジオからは当時流行っていた童謡「およげたいやきくん」が流れてきたのを今でも覚えています。画像に映っている小さなボンネットを持ち上げるとそこにはエンジンではなくて、スペアタイヤが入っています。エンジンは車両の後部座席の背中にあり、後輪を駆動させるリアエンジンリアドライブの車です。航空機の製造技術を応用してボディの軽量化が図られています。
この車の誕生により、自動車が一般の家庭にも広がりました。
筆者:実家の車は息子2人の成長に合わせてサイズアップしていき、スバル360のあとは、レオーネ2台とレガシィ1台と、セダンタイプの車を3台乗り継ぐことになりました。

平岡さん:スバル360の大ヒットに続いて販売された軽トラのサンバーも大ヒットを記録し、富士重工業は、自動車製造会社としての礎を築いていくことになります。
筆者:これまで日本の統治体制の転換点に太田市が関係してきた歴史をみてきましたけれど、日本の自動車産業が大きく花開く転換点にもここ太田市が関係していたということなのですね。
株式会社SUBARU の技術について
筆者:安全にそして安心して自動車を運転するために自動車に求められる理想的な性能とは何か、筆者は、どんな路面状況であっても安定して走る、曲がる、止まることだと思うのですが、SUBARU 様は次の代表的な3つの技術がそれらを実現しています。
水平対向エンジン ピストンが左右に向き合う形で配置された水平対向エンジンは、向かい合ったピストンが互いの振動を打ち消しあうため、なめらかに回転し、車内に伝わる振動も少なくすることができます。
また、他の自動車メーカーが採用している上下方向にピストンが動く直列エンジンよりも、横向きにピストンが動く水平対向エンジンの方が、車の重心を低くすることが可能であるため、カーブを走行するときに受ける遠心力の影響を小さくし、安定した走りが実現します。画像中の白枠内が水平対向エンジンのピストン部分です。

筆者:水平対向エンジンの安定感を日常生活でたとえるならば、お盆の上にペットボトルを4本載せて運ぶとき、4本のペットボトルをお盆に立てて運ぶとバランスを崩しやすく、倒してしまいますが、ペットボトルを横に2本ずつ交互に寝かせて運べば安定して運ぶことができます。重たいエンジンをできるだけ低い位置に配置することで低重心の車両を実現しています。
シンメトリカルAWD 水平対向エンジンが生み出す直線運動を回転運動に変えて4つの車輪に効率よく伝える左右対称のパワートレイン(トランスミッション、プロペラシャフトなど)を車体の中心線上に一直線に配置した、独自の常時四輪駆動システム(AWD)で、低重心と左右対称の重量バランスを保つ独自の技術です。これにより、エンジンの力が効率的に路面に伝わり、雪道や雨天時などの滑りやすい路面でも安定したトラクション(タイヤが路面を捉えて進む力)とハンドリング性能を発揮し、高い安全性と走行性能を実現しています。

筆者:父が持っていた販売店のチラシがきっかけで筆者も15年くらいインプレッサに乗っていましたが、首都高のように起伏がありカーブが連続する道路でもぴたりと路面にすいつくように走りました。また、雪国でも坂を安定して登りましたし、故障もほとんどなく全く手がかかりませんでした。加えて、MT車でしたが5速のままでも合流したり、車線変更ができたりする余裕のある走りをしてくれる良い子でした。
スバルグローバルプラットフォーム 2016年10月にフルモデルチェンジしたインプレッサから、順次導入されている次世代の車台設計思想・共通骨格で、走行安定性と世界トップクラスの衝突安全性能を大幅に向上させ、将来の電動化にも対応するために開発されたものです。高いボディ剛性、低重心化、部品配置の最適化により、優れた走行性能と快適性を実現しています。SUBARU のほぼ全車種に採用されています。

前方から衝突したときにも、プラットフォームで衝撃を効率的に後方に流し、加えてパワーユニットが室内に入らない設計により搭乗者の安全が守られる構造になっています。
さらに、ドライバーがよそ見をしてしまい衝突回避が遅れた場合などに衝突回避をサポートしてくれる安全技術も備わっています。
アイサイト 人の目と同様に左右2つのカメラで、前方のクルマや歩行者などを立体的に認識し、それらの対象物との距離、形状、移動速度を正確に捉えることで事故回避、被害軽減や運転負荷軽減といった「予防安全」を実現しています。2022年からは「超広角単眼カメラ」を新たに採用し、アイサイトの認識能力がさらに強化されました。

筆者:最近になってZ世代の筆者の二人の娘が運転免許を取りたいと言い出しました。心配なのでアイサイト付きの車に乗り換えようかと思い始めています。
筆者:こうした独自の技術で理想の車づくりをされているSUBARU 様の組み立て工場を見学することができます。太田駅の南に3kmほど進んだところにある群馬製作所矢島工場には、株式会社SUBARU 様について学べるスバルビジターセンターが併設されています。

筆者:見学予約が必要で、こちらのサイトからご予約をお願いいたします。工場見学は、県内外の学校の社会科見学先としても大変好評で、1日に4校も見学予約が入る日もあるそうです。少人数の個人のお客さまでも見学ができる日があるようですのでスバルビジターセンターのホームページをご覧いただき、予約をしてからご訪問ください。プレス工程や溶接工程といった危険を伴う作業工程や厳しい品質管理が求められる塗装工程などは、VRゴーグルを装着して作業の様子を体験見学することができるようになっています。
筆者:群馬製作所で作られた車は海外約90カ国・地域に輸出されています。どんな路面状況でも安定して走る、曲がる、止まる車であるSUBARUの車は、北米や欧州の雪の多い国や地域では特に人気があります。有名自動車メーカーがある欧米において、目の肥えたユーザーからも選ばれるSUBARU の技術力は、日本の誇りです。
筆者:日本ではスバリストと呼ばれるコアなSUBARUファンがいます。世界中には、たくさんのコアなSUBARU ファンがいますが、完成車の生産拠点はというと、ここ群馬県太田市とアメリカのインディアナ州にある工場だけです。

SUBARU の飛行機製造部門が製造した自衛隊の訓練機

出場したWRCでSUBARU の高い走行性能を世界に示し、世界中にSUBARU ファンを増やした立役者のインプレッサ。

トヨタ自動車と共同開発されたSUBARU BRZ。水平対向エンジンの後輪駆動です。

そして、スタイリッシュなデザインが今となっては伝説のアルシオーネSVX。

航空機製造の技術を応用して製作された車内に柱を持たないモノコック構造(卵の殻のように外皮(スキン)自体が強度を保つ構造)のバス「ふじ号」です。
このようにスバルビジターセンターには、自動車産業の歴史を語るうえで貴重な車両が数多く展示されています。
SUBARU群馬製作所の櫻井さん:自動車を製造する工場をご覧いただきましたが、いかがでしたか?
筆者:自動車づくりの場合、お菓子工場のように全く同じ製品を大量に製造するのと違って、製造ラインに並んでくる車種がいろいろ混在して流れてきて、ボディの色も同じ色の車が2台続くことがないということに気づきました。組み立ての作業をされている従業員の皆さんは同じ部品を取り付ける同じ動作を繰り返すだけではなく、ボンネットに取り付けてある指示書に基づいて1台1台異なる部品を取り付けていくので車ごとに違う動きの動作をされていました。
櫻井さん:この工場では、海外約90カ国・地域で走る自動車を製造しているので右ハンドルもあれば、左ハンドルもあります。それぞれ仕様の異なる自動車を同じ製造ラインで製造しています。同じ車種でもグレードの設定が複数ありますので、多種多様な車種を需要予測に基づく生産計画にしたがい製造しています。それでもおよそ1分ごとに新しい自動車が1台完成しています。
筆者:エンジンの取り付けなど、時間を要する工程もありますが、組み立て作業がラインの流れから遅れてしまうことはないのでしょうか?
櫻井さん:工程ごとに標準作業時間が設定されているのでそれに遅れそうな場合は、作業員が自らの判断でライン全体の流れを一時停止させて、確実に作業を完了させることになっています。
筆者:作業員の方もご自身の作業の遅れでラインの流れを一時停止させてしまうことは少し勇気がいるようにも思います。
櫻井さん:品質に影響が出てしまいますので、ラインを止めることになっても咎められることはありません。
筆者:車内の作業をしやすくするために、塗装工程を終えたらボディからドアをすべて一旦取り外してボディとは別のサブラインでドアの電装部品の取り付け等を行い、再度ボディに取り付けることになっているのでメインのラインとサブラインが完全に同期していないといけませんね。だからラインを止めると多くの工程に影響が出てしまいますね。それでも品質を維持するために作業員の方は勇気を持ってラインを停止させるということなのですね。
作業員の方の無駄のない動きも印象的でした。
筆者:今、自動車先進国の一部の国では電気自動車に全振りした反省から政策がぶれ始めている国もあり、エンジンが強みの日本の自動車メーカーにとっては難しいかじ取りを求められるようになっています。100年に一度の変革期とも言われますが、株式会社SUBARU 様は、今後どの道を進むことになるのでしょうか。
平岡さん:カーボンニュートラル実現に向けた中長期的な取り組みとして、将来的にBEV(バッテリーに蓄えた電気のみを動力源としてモーターで走行する、エンジンを搭載しない純粋な電気自動車)事業が主軸となることを見据えています。
一方で、BEV市場の成長が減速傾向にあり、ハイブリッド車の需要の高まりも捉えていく必要もあります。
一つの道だけに限定することはリスクでもありますので、「柔軟性」を確保しながら、先行きを見通すことが難しい時代のかじ取りをしていく必要があります。
このような難しい事業環境下ではありますが、小回りの利く"SUBARU の規模だからこそできる"製造・開発・お取引先様領域まで含めたサプライチェーンが一体となった"ひとつのSUBARU 化"を進めることで、高密度なモノづくりを推進しています。今後も地元である群馬県を中心としたお取引先様と、これまで築き上げてきたお互いの厚い信頼を土台に、様々な取り組みにおいて連携を強めていきたいと考えています。
筆者:これまでも道なき道を御社の独創的な技術力で切り拓いてこられたのですから、今後もこれまでにない価値を創造されることを期待しております。
この度はどうもありがとうございました。
筆者:おおたん、工場は次々と新しい自動車が完成していくすごいところだったね。ところでおおたん、そろそろ筆者は少しおなかが空いてきたのだけれど、太田らしいお食事ができるお店をどこか知っているかな?
おおたん:太田市観光物産協会の公式HPや上州太田焼きそばのれん会にもいろいろ掲載されているので好きなところに行ってみてね。
筆者:教えてもらったサイトには掲載されていないのだけど、今日は、これまで新田義貞について勉強してきたのでおきりこみという郷土料理を提供している「新田乃庄おきりこみ総本山」様にまず行ってみるね。

こちらは新田乃庄様の寒山亭です。武家屋敷のような外観です。店内は宮廷のような装飾になっています。


新田乃庄様の名物「おきりこみ」は、幅広の生麺を、旬の野菜などと一緒に煮込んだ郷土料理になります。写真は餅入りです。箸上げで撮影するのが苦手な筆者なので麺の幅広具合がわかるようにちょっと失礼しています。モチモチとした麺もスープも具材もとても美味しかったです。
ここ新田乃庄様には、実際に皇族の方々もお食事のためにお立ち寄りになられることがときどきあるそうです。株式会社新田乃庄の須永社長は、元々皇宮警察に在籍されていたご経験があるとのことで、お料理だけでなく、お店が皇族の方々をお迎えする際の作法にも精通しているということも選ばれる理由になっているのかもしれません。店内の内装も宮廷らしい雰囲気となっているのでお食事だけでなくゆったりと時間を過ごすことができます。


続いて、太田市の中心市街を走る日光例幣使街道沿いで50年以上に亘って薬局を営んでいらっしゃる和漢生薬太田薬局様の二代目店主にもおすすめの観光地などを訊いてみました。
筆者:新田乃庄でおきりこみをいただいてきたところです。太田市の観光スポットでおすすめはどこかありますか?
太田智弘店長:うちは薬局なので健康という観点から金山をハイキングするというイベントを主催したりしています。それから太田で人気なのは七福神めぐりですね。上州太田七福神は、金山山麓の七つの由緒あるお寺に祀られています。古くからこの七福神をめぐると御利益を授かると言われています。
美しい金山の自然を眺めながら、ハイキングを兼ねて、上州太田七福神めぐりをされてみてはいかがですか。
筆者:ありがとうございます。七福神は、恵比寿天、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋尊の七柱の神様ですね。先ほどの「子育て呑龍の大光院」は、弁財天(ご利益:財宝福徳、学業増進)が祀られているのですね。
太田智弘店長:あとは、観光とは違いますが、男子プロバスケットボールリーグ『B.LEAGUE(ビーリーグ)』に所属する群馬クレインサンダーズ。B1リーグに昇格した2021年に太田市がホームタウンになりました。
筆者:市内のいくつかの郵便ポストが、チームカラーの黄色と黒色のデザインになっているのはそのためだったのですね。せっかくなので太田焼きそばも食べて帰ろうかと思います。
筆者:おおたん、今日はいろいろ案内してくれてどうもありがとう。太田市のイメージがすごく変わる旅だったよ。
繰り返しになるけれど、歴史の転換点には太田市が大きく関係しているというのは勉強になりました。群馬県も太田市も深掘りするとまだまだいろいろ見どころがたくさんありそうだね。
そういえばAさん、太田市出身の有名な方にはどんな方がいらっしゃいますか?
Aさん:いろんな方がいらっしゃるみたいですが、一部をご紹介すると、ミュージシャンではスリーピースロックバンドのback numberのボーカルの清水依与吏さん、声優さんでは今ぐんまちゃんとよく一緒にお仕事をされている群馬特使の内田彩さん("ラブライブ!"南ことり役、"けものフレンズ"かばん役など)や、TARAKOさん("ちびまる子ちゃん"まる子役など)、スポーツ関係だと福岡ソフトバンクホークスの周東佑京選手、元プロ野球選手の斎藤佑樹さん(ハンカチ王子)などがいます。なかでも斎藤祐樹さんは、今回ご紹介してきた生品神社の近くの中学校のグランドで練習をされていたようですよ。
筆者:いろいろな分野でご活躍の方がいらっしゃいますね。それぞれの分野で徳川家康のように天下を取られた方もいらっしゃいます。
今回はいろいろご調整いただきまして誠にありがとうございました。
太田市へのアクセス
■鉄道の場合
筆者:太田市は、東武鉄道の東武伊勢崎線で浅草や北千住と直接繋がっているので東京からのアクセスも非常にいい場所ですね。太田市は自動車の街であるので移動には自動車を使う人が圧倒的に多いと思います。道も整備されているので便利ですが、鉄道旅でも楽しそうです。りょうもう号という東武鉄道様の特急は1時間に1本以上運行されています。ちなみに東武スカイツリーラインというのは東武伊勢崎線の一部区間の愛称で、浅草~東武動物公園間と押上~曳舟間のことを指しますので太田駅は東武伊勢崎線の駅になります。東海道新幹線と同じように出張のビジネスマンが多く利用されているイメージがあります。

鉄道で太田市に来られた方は太田駅構内にある太田市観光案内所で電動自転車をレンタルすることが可能です。自転車のレンタルは人気があるとのことで休日にはすべての自転車が貸し出し中になるときも多いそうです。自転車を借りて金山等に行く場合は、営業開始時刻の9時に合わせて行くことをお薦めいたします。

太田駅前にはおしゃれなデザインの太田市美術館・図書館があります。カフェも併設されています。
■自動車の場合
筆者:東北自動車道の館林インターから国道354号線を主に使ってアクセスする方法か、東北自動車道の佐野藤岡インターから国道50号線を主に使ってアクセスする方法、東北自動車道から北関東自動車道に渡って、太田強戸スマートインターからアクセスする方法などいろいろなルートが考えられます。筆者がよく使ったルートは、首都高速川口線から東北自動車道に入って、館林インターから一般道に出てしまって、国道354号などを進むルートです。
おおたん:最後までお読みいただきどうもありがとう。ぜひ見どころいっぱいの群馬県太田市に遊びに来てね。
筆者:最後までご覧いただき誠にありがとうございました。
今回は、群馬県太田市の観光特集ということで太田市の歴史からご紹介してまいりました。
太田市の観光についてさらにお知りになりたい方は、
太田市観光交流課様のHPや太田市観光物産協会様のHPに今回ご紹介しきれなかった観光コースなどの観光情報などが詳しく掲載されておりますので併せてご覧いただければと思います。
また、今回も本ブログの作成にあたり多くの企業様、団体様にご協力いただきました。
この場をお借りいたしまして厚く御礼申し上げます。
【取材協力】 五十音順
- 太田市企画部 企画政策課様
- 太田市教育部 文化財課様
- 太田市産業環境部 観光交流課様
- 太田市観光物産協会様
- 太田薬局様
- 株式会社SUBARU 様
- 株式会社新田乃庄様
- 群馬県知事戦略部エンターテインメント・コンテンツ課様
- 上州太田焼きそばのれん会様
- 東武鉄道株式会社様


