TOP / バイク川崎バイクのショートショート あの日、首都高が見える街で。 / 第3回「散歩飽きた」
Column私たちが⽇々⽬にする景⾊に溶け込んでいる、東京の象徴とも⾔える⾸都⾼。
そんな⾸都⾼のある⾵景の中で暮らす⼈々のドラマを描いた超短編⼩説。

首都高のある風景

高速9号深川線
木場親水公園付近(東京都江東区)
木製の太鼓橋や岸辺の灯籠など、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような雰囲気が漂う木場親水公園。江戸情緒を感じる風景と首都高の共演はまさに東京らしい風景。
第 3 回 「散歩飽きた」
男はいつものように日課である散歩をしていた。
散歩はいい。
同じ景色でも、すれ違う人、小鳥のさえずり、風の匂いは日替わりで違ってて、別の景色を味わえる。
散歩コースである木場親水公園周辺は、江戸の情緒が残る街。木材が豊富にあしらわれた建物たち。世間が持つ東京のイメージとは異なる落ち着いた景観が、気分も落ち着かせてくれる。
公園の中央にある、木々の香りが漂うノスタルジックな橋の中央で足をとめると、遠くで首都高がひょこっと顔を出している。その場違いな風景が、いい意味でここが東京であることを思い出させる。
そんなことを考えている男は、今年で70歳になる。
戦後間もなく、この街で生まれこの街で育ち、この街で働きこの街で定年を迎え、今再びこの街で、第二の青春が始まろうとしていた。
そして、橋を渡りきったあたりで男は、とても小さな声でこう呟いた───。
「散歩、飽きた」
男はついに、ついに口に出してしまった。
口に出してしまうことで、積み上げてきた何か大事なものが瓦解してしまうような気がして、今までこの言葉だけは言うまいと自制してきた。が、もう限界だ。
飽きた。散歩飽きた。
世間の“おじいさん像”を崩してごめんなさい。雰囲気で散歩してました。みんなやってるんで。「日替わりの景色」とかカッコつけてました。だいたい同じです。あ、でも街に情緒はほんとあります。ただずっと住んでるとそんな毎日感じることは流石にないです。「東京であることを思い出させる」とか、地方から夢を追って出てきた感じ出してすみません。ずっとこの街にいるので思い出すも何もないです。散歩よりも、あの首都高に乗ってどこか遠くへ走り出したいです。なんか、ごめんなさい!
男は誰に謝ってるのかわからないが、とりあえず心の中で謝りたおした。
若い頃は身を粉にして、家族のために働いてきた男に趣味と言えるものは特になかった。
だが定年して時間ができ、自他ともにおじいさん的な存在となった男は、とりあえず世間のおじいさん的な風習に倣って散歩してきた。毎日毎日散歩してきた。
しかし、飽きていた。
というのも、男の家は、息子夫婦と孫の家も近く、関係もとても良好。孫が毎日のように遊びに来ては、やれ流行りのゲームだアニメだSNSだに付き合わされる。
もともと知識欲もある男はそれらをすべて惜しみなく吸収するものだから、同年代の者たちより、男の感性はすこぶる若かった。若返ったと言うべきか。
さらに男は呟く。
「散歩飽きた。マック食べたい」
男は感性も、身体も若かった。
孫の相手をしながら、隙間時間に何年も散歩をかかしたことがない男は元気だった。
人間の細胞というのは貪欲で、気質や環境次第ではある程度若く保てるものだ。
統計の話にはなってくるが、やはり若い人に囲まれてると若さは保たれるし、一人で閉じこもってると老けるのも早い。
人間の摂理としては、どっちが正しいもないが。
「あーー、俺はいつになったら世のおじいさん、みたいな感覚になるんだ。あ、てかそろそろスマホ買い換えようかな」
男の感性は若すぎた。
「てか俺、とかじゃなくワシって言い出すタイミングは、一体いつなんだ」
若いおじいさんは憂いた。見た目は割と普通のおじいさんなのに、おじいさんに馴染めない自分に。
江戸の情緒が残るこの街。自分がそれこそ江戸時代なんかに生きてたら、こんなことは思わなかっただろう。
落ち着いたおじいさんだっただろう。
しかし、昭和から、文化などの発展を遂げに遂げ、令和まで生きた70年。時代の移り変わりのスピードが違う。
すべて見てきた。
どんどん豊かで便利になる世界を。
趣味にも数多の取捨選択ができる時代を。
そんな中で、散歩、という趣味を選んだのだが自分には向いていなかったのかも?
だが、そのおかげで健康で若々しい生活を送れているのも事実。とはいえこの見た目で今さら散歩に飽きたなんて家族に言ったら、築き上げてきたおじいさん像を崩してしまうのではないか。
妙なジレンマに苛まれる若いおじいさん。
「んーー……。なあ……どう思う?」
男は、おそるおそる隣を歩いている妻に尋ねた。
「聞いてただろ……?どう思う?」
男の妻である女は、食い気味に答えた。
「わたしはずっと飽きてたわよ」
「え?」
「なんならもっと早く言ってよって感じよ。わたしはてっきりあなたが無類の散歩好きなんだと思ってたから」
妻からまさかの返答。男は狼狽える。
「……え?え?そうだったのか……?」
「そうよ。まあ散歩のおかげでわたし達が元気?なのはあるかもだからいいんだけど。てかわたしもそろそろおばあさん感、無理矢理出すのもどうかなと思ってたから。ふふふ」
なんということだ。
妻も同じ思いだったとは。
まあそれもそうか。毎日毎日、孫たちと遊び、散歩をしてるのだから似たような価値観になるか。
本当にもっと早く打ち明けていればよかった。
「どうする?わたしもスマホ買い換えようかと思ってたから行く?」
「そうだな」
「店員さん、わたし達がオプションとか全部いらないって言うからいつもびっくりしてくるよね。あの瞬間好きなんだよね」
「なんか俺達はオプション全部つけてくれると思い込んでるものな。ははは」
「あ、だからこれからはさ、散歩って思わず、いろいろなとこを歩こうよ。元気なうちにさ」
「ああ。そうしようか」
「まあでも飽きたって言っても、この街を歩くの好きよ。どれだけ時代がすすんでも、変わらない景色のこの街は。あなたと出逢ったこの街は。なーんてね」
「おいおい、ずいぶん機嫌がいいな」
「やっとお互い本音も言えた気がするからね」
「ははは。確かにな」
第二の青春、などという概念は、この二人には無用だったようだ。
若い老夫婦は、今日もゆっくりと散歩を続ける。
出逢った頃と変わらず、ずっと手を繋ぎながら。
どんな時でも何年も何十年も手を繋いできた二人。
きっとそれが、一番の若さの秘訣。
この物語はフィクションです。

次回のショートショートは3⽉1⽇更新予定です