バイク川崎バイクのショートショート あの日、首都高が見える街で

私たちが⽇々⽬にする景⾊に溶け込んでいる、東京の象徴とも⾔える⾸都⾼。
そんな⾸都⾼のある⾵景の中で暮らす⼈々のドラマを描いた超短編⼩説。

首都高のある風景

高速2号目黒線
五反田大橋周辺(品川区西五反田)

五反田駅から桜田通りを西に進むと見えてくる五反田大橋。周辺にはマンションやオフィスビルが立ち並び、その合間を縫うように首都高が並行して走る、東京らしい風景を見ることができる。

第 7 回『ライバル』

“ライバルは昨日の自分”。

誰が言ったか、手垢のついた表現ではあるが、意識高く生きていく上において、これほどシンプルに己を鼓舞する言葉はないだろう。

橋爪静香は学生時代、都内でも強豪の陸上部に所属していたこともあり、大人になってもこの言葉を座右の銘として日々を過ごしていた。

28歳で結婚し、現在は40歳。

バリキャリだったOL時代を経たせいか、子どもが生まれ専業主婦となった今も、その意識の高さは鳴りをひそめることはなかった。

この日も静香は、日課であるジョギングをしていた。

小学生になり手がかからなくなってきた息子、理解のある夫。

隙間時間もあり、趣味と健康促進もかねたジョギングという日課は、意識の高い元長距離ランナーの静香が行き着くにはごく自然なことだった。

「今日もいいペースだわ」

平日に毎日、家の近所の五反田大橋周辺をひた走る。

現役の頃に比べると、その走りにもちろん陰りは見えど、この年齢の女性としてはなかなかにハイペースで走る静香。

同じように行き交う常連ランナーを追い越すこともしばしば。

静香は実感していた。

肉体も精神もまだまだ衰えてはいない。スタイルも維持している。むしろここからが全盛期だ。

ライバルは昨日の自分。

昨日の自分に勝てば、ずっと全盛期だ。

乱れぬ息がその証拠。

そんな意識の高さをランニング中に持ち合わせながら走る静香。

“ヤツ”は突然現れた。

5メートルほど目の前を、自分と同じ背格好、同じランニングウェアの女性が走っている。

自分で言うのもなんだが、ただのランニングにしてはなかなかのハイペースだ。

静香はそんなことを考えながら、いつものように追い抜きにかかった───が、追いつけない。

厳密に言うと、引き離されることもないが追いつくこともできない。本当に同じペースのようだ。

前を走っている女性がチラリとこちらを振り返った。

静香は目を疑った。

横顔がとても見慣れた人物、いや、見慣れたどころではない。あきらかに“自分”だったのだ。

なにがなんだかわからなかった。

ペースも崩され、みるみるうちに引き離されていった。ハァハァとその場で立ち尽くし、息も久しぶりに乱れきっていた。

───家に帰り、静香はさきほどの出来事を反芻していた。

あれはなんだったのか。眉間に皺をよせ思い悩んでいると、小学3年生になる息子が話しかけてきた。

「ママ〜。どしたの?こわい顔してるよ?」

「ああ、しんちゃん。なんでもないよ。……てか宿題は終わった?」

「うん! 」

「よし、偉いね」

「ママ!かくれんぼしよう?」

「今日はもうダメよ。遅いし」

「でも……」

「でもじゃないの。今日は無理。我慢して」

「え〜」

「我慢よ。自分に甘くしてたら大人になっても甘い考えになって困るからね」

「……は〜い。わかった」

ややふてくされながらも、納得もした表情の息子。

どうやら、意識の高い教えは息子にも受け継がれているようだった。

そして次の日───静香のランニングの時間が再び訪れた。

昨夜の出来事はまだ記憶に新しいが、静香は気持ちを切り替え、またハイペースで走っていた。

すると、 目黒川の近くに差し掛かったところでまた、“ヤツ”が現れた。

同じ背格好、というよりどう見ても自分。

気味が悪かったが、それよりも「今日は勝ちたい」と思ってしまったのは、意識の高い静香の負けん気の強さからだった。

昨日は驚いたせいで呼吸を乱しペースが落ちた。今日はそうはいくもんか。

しばらくはやはり、同じペースの二人のため、一定の距離での硬直状態が続いた。

それはさしずめ、ランニング中にいつも見える五反田大橋と、その手前に並列している首都高速2号目黒線のように、見事につかず離れず、常に均等な距離が保たれているようだった。

10分ほど同じスピードで走っていると、前の女性、いや前の自分があきらかにペースを落とした。呼吸を乱し、後退してくる。

その隙を逃すことなく、静香はみるみるうちに追い抜いた。よし。今日は勝ったぞ。

おそるおそる振り返ると、やはり、自分だった。

冷静に考察する静香。

これはあれか……?

もしかすると『ライバルは昨日の自分』を意識するあまり、本当に『昨日の自分』が具現化したということか?私以外には見えない幻的な……?

いささか信じ難いが、“現在の静香”に追い抜かれていく、苦悶の表情の“もう一人の静香”がいるのだから疑う余地はない。

次の日も、その次の日も、『昨日の自分』は現れた。

そして驚くべきことに、静香は連日、過去の自分に打ち勝っていった。

更に一ヶ月ほど経ったある日───。

この日も「さあ来い、昨日の自分」と鼻息を荒くして走っていると、突然足がもつれた。身体が重たい。前に進まない。

しかし今日も、ライバルの昨日の自分が前を走っている。負けるわけにはいかない。

だが静香は、その場で立ち止まりゆっくりと膝から倒れてしまった。

意識が朦朧とする中、静香は見た。

前を走る昨日の自分が、足をとめ、振り返り、心配そうに自分を眺めていたのを。

病院に運ばれた静香は、命に別状はなく、しかし大事をとって3日ほど入院することとなった。

原因は心身ともに“疲労”。

主に身体のSOSを無視していた静香に起こるべくして起こったことだった。

医者からは「週5でランニング?いやいや、週に2、多くても3にしてください。あとペースも、話を聞く限り趣味の域を超えてます。無理をせずもっとゆっくり走るように」

そう強く念を押された静香は悲しかった。

まだまだ全盛期と思っていた自分に現実を突きつけられた気分だった。

駆けつけた家族が心配そうにしている。

「大丈夫……?静香が自分に厳しいのはいいことだけどね、あんまり無理はしないでほしいんだ。本当はね」

夫が初めてそんなことを言ってきた。

「ママ……だいじょうぶなの?……うえええええんうええええん……!」

息子が満面の泣き顔を見せている。

そんな家族達の姿を見て、ふと我にかえった。

自分はいったいなんのために意識を高く過ごしていたのだろう。若くもないのに、自分本位で勝手に無理をして、心配と迷惑をかけて。

家族の時間もないがしろにして己を鍛える?なんのために?

意識の高さを履き違えていた。

思えばあのライバルは、いつかこうなることを教えるために、現れてくれたのかもしれない。

「……ごめんね。なんか……うん。どうかしてた。これからは無理せず、うん……」

声を震わせ、謝る静香。夫が優しく答える。

「うん。静香がよく言ってた『ライバルは昨日の自分』っていうやつさ。いい言葉だけど、負ける日、があってもいいんじゃないかな。いや、そもそも人生は勝ち負けじゃない。家族は支え合うものだから。もちろん無理してることに気がつけなかった僕にも責任はある」

「そんなことない。ごめんね。しんちゃんもごめんね?」

「ううん。だいじょうぶ!ママがいないあいだ、がまんする!」

強く優しい子に育っている息子を、静香は抱きしめた。

数日後。

退院した静香は、ランニングを週に2回、ペースもかなりゆっくりに落とし、家族の時間も大切にしていた。そんなある日───。

「しんちゃんー?宿題は?」

「できたよ〜」

「あら、偉い。かくれんぼでもする?」

「んーん、もうやってるからいいよ!」

「え?」

「なかなか見つからないの〜。僕が」

【完】

この物語はフィクションです。

バイク川崎バイク(BKB)

ピン芸⼈。1979年12⽉17⽇⽣まれ、兵庫県出⾝。2014年、『R-1ぐらんぷり2014』決勝進出。ショートショート作家としても活躍。“すぐ読めて、もう⼀度読み返したくなる” BKBのショートショート(超短編⼩説)として作品投稿サイト「note」で⼤反響を呼び書籍化が実現。

次回のショートショートは3⽉1⽇更新予定です