TOP / サンプラザ中野くん×エッセイ あの時、首都高の上で。 / 第2回『大きな玉ねぎと僕の関係(前編)』
Column
vol.2
大きな玉ねぎと
僕の関係(前編)
武道館との出会いは1978年、かぐや姫の再結成コンサートだった。
当時の僕にとって武道館は憧れの聖地で、そこで大好きなかぐや姫を観られるなんて本当に嬉しかった。
南こうせつさんや伊勢正三さん、山田パンダさんの歌声が会場に響く中、隣にいた横浜から来たという男性と意気投合して、2階席東の最上部で肩を組んで盛り上がった。「こうせつ、ありがとう!」なんて叫びながら、夢中になっていたのを覚えている。
翌1979年には、今度はアリスの武道館コンサートで警備員のアルバイトをした。
お客さんとしてではなく、スタッフとしてアリーナにいるのは不思議な感覚だった。演奏が始まってすぐ、谷村新司さんが「警備員の皆さんも座って聴いてください」と言ってくれて、ステージに向かって座らせてもらった。谷村新司さんや堀内孝雄さん、矢沢透さんの演奏を間近で見ながら、また違った武道館の魅力を感じていた。
そして1980年の秋。首都高の竹橋ジャンクション付近をバンドの機材車で走っていた時のことだ。この年の春に大学に入り、スーパースランプというバンドにボーカルとして誘われた僕は、メンバーと一緒にハイエースに乗っていた。
ふと窓の外を見ると、武道館の特徴的な屋根が見えた。その瞬間、思わず口に出していた。「大きな玉ねぎが乗ってるね」と。
あの独特な飾りの形が、本当に巨大な玉ねぎに見えた。一緒にいたメンバーは笑っていたけれど、僕にはその表現がしっくり来たのだった。
1981年の春には、クイーンの来日公演を一人で観に行った。
フレディ・マーキュリーの圧倒的なパフォーマンスに魅了されながら、武道館で繰り広げられる音楽の魔法を改めて実感した。そんな武道館と僕との関係が、さらに特別なものになる出来事が1981年の秋に待っていた。
今度は僕自身が、その聖地・武道館のステージに立つ番がやってきたのだ。
(2026年3月1日公開予定の後編へ続く)
1960年8月15日生まれ。 山梨県甲府市出身(千葉県流山市育ち)。1984年に爆風スランプのヴォーカルとしてデビュー。ほぼ全ての楽曲の作詞を手がけ、88年にリリースした「Runner」で紅白歌合戦に初出場。翌年の爆発的ヒットにより、更に幅広いファンを獲得。その後も「リゾ・ラバ(resort lovers)」をはじめ数々の楽曲をリリース。15周年を迎えた1999年4月に爆風スランプは活動休止宣言。2008年1月に「サンプラザ中野くん」と名前をリニューアル。爆風スランプデビュー40周年を迎えた2024年に再集結。26年ぶりに新曲リリースとツアーを開催し、各方面から話題を呼ぶ。デビュー41(よい:デビューアルバム名)周年の今年2月に、爆風スランプの楽曲「大きな玉ねぎの下で」が映画化。8月には爆風スランプとして初となる夏フェス「ASUTO MUSIC PARK」に出演した。






