Volume 6
する必要のない引っ越し

 小学校二年生の夏から埼玉に住んでいたのだが、大学三年生の終わり頃、一人暮らしをしたいと思うようになった。東京の大学へ通うための一時間半ほどの片道通学時間もそれほど長くなかったが、理想のインテリアを実現させるには、散らかった実家では無理だったからだ。

 IKEAが日本で有名になり始めた頃でもあり、そこで出会った数々の家具を所有するには、広めの部屋を借りるしかない。広さ重視で探したところ、四二平米で家賃九万一〇〇〇円の物件を、小岩で見つけた。小岩は東京のかなり東のほうだが、埼玉に住んできた身からすれば、小岩でも都心だ。

 実家の部屋には、〇.七畳ほどの大きさの組み立て式防音室も有していた。分解できるとはいえ大きなパネルパーツもあるため、引っ越しは業者に頼まなければならなかった。できるだけ安く済ませたい。ネットで探したところ、ハイエースを使っている赤帽ならそれが可能だった。運転手一名のみで助手席に僕が同乗し、荷下ろし等も手伝うというプランで契約した。

 初めての引っ越しで、わからないことも多い。たった二名だけでの作業に時間がかかり過ぎると追加料金も発生するため、大学の友人や後輩四人にも、荷下ろしを手伝ってもらうことにしていた。引っ越しの当日、荷物をハイエースに積み込み、助手席に乗ると、引っ越しに反対していた母が、寂しそうな顔をして見送るのが見えた。

 休日の朝だったから、高速道路も空いていた。平井大橋出口で下道に出て、小岩のマンションには余裕をもって着いた。赤帽のおじさんと二人だけで荷下ろしをしていたら、ほとんど終わった頃に、約束していた四人がやって来た。入れ替わるように、赤帽のハイエースは去って行った。

 近くのファミレスへ行き、なにも作業をしていない四人と一緒に食事をする。バイト代はなしだが、食事代と交通費だけ出すという約束をしていた。春休み期間中で茨城のわりと遠くから来ている友人もいたから、交通費の精算だけでもけっこうかかった。ファミレス代もあわせると、最初から赤帽の人員をもう一人多めに雇えばよかったのかもしれない。ただ、わざわざ来てもらった四人にファミレスをおごっただけの休日の朝が、就職活動が始まった時期の妙に優雅な記憶として、残っている。

 やがて、たいして生産性も上がらないのに毎月九万一〇〇〇円の家賃を払い続けるのは無駄だと気づき、引っ越してから約半年後の九月には、実家へ戻っていた。二十代半ばくらいまでは、する必要のない半年間の一人暮らしに費やした金で色々買えたのにな、等々後悔していたが、今となっては、やってよかったと思っている。経験のほうが、大事だ。あのファミレスでの妙に優雅な時間は、自ら求めようとしても、なかなか得られない。

(次回は12月更新予定です)

PROFILE羽田 圭介(はだ けいすけ・作家)

1985(昭和60)年、東京都生まれ。明治大学商学部卒業。2003(平成15)年、『黒冷水』で文藝賞を受賞しデビュー。2015年、『スクラップ・アンド・ビルド』で芥川賞受賞。他の著書に、『成功者K』『ポルシェ太郎』などがある。

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