Volume 8
大黒ふ頭のうつりかわり

 小学五年生から高校生頃まで、たまに釣りをやっていた。特に小学生のときなんかは、中学受験の勉強で忙しくしつつ、父親が買ってきた関東釣り場ガイドを何度も見返していたから、大黒ふ頭なる名称は頭に残った。写真で見る限り、海につきだすように作られた人工的な地面が、SF映画のような非日常性を感じさせた。

 今に至るまで結局、大黒ふ頭で釣りをしたことはないと思う。いつしか大黒ふ頭のイメージは徐々に薄くなっていった。

 三一歳になると、初めて車を買った。買ったものの、都内の駅近で交通の便が良い場所に住んでいると、なかなか乗る機会がない。必要性がないのに乗るのは、排ガスをまき散らすようだし気がひけた。だから、車を運転しなければならない必然性が生じたとき、それも長距離だと、かなりの喜びを感じた。

 長距離でも、大阪や京都だと、新幹線に乗ったほうがいい距離だから微妙だ。たとえば兵庫県の福知山など、新幹線と在来線を乗り継いで行くのも面倒な場所だと、車が適している。そう、ともかく電車で行くには面倒な場所に行く用事を、求めているのだ。

 そんなある日、商品広告のためのPVに出演する仕事が入った。大黒ふ頭付近の倉庫にて、大人数で撮影するのだという。その日はたまたま、渋谷のNHKで夕方、生放送出演の仕事が入っていた。NHKもまた、電車で行くにはやや面倒な場所に立地している。そして大黒ふ頭の倉庫エリアは、電車だと行きにくい。

 これほど、車で移動する必然性に満ちあふれた日もなかなかない。愛車でNHKへ行き、それが終わるとすぐ首都高に乗り、夕方の湾岸エリアを走り大黒ふ頭出口から下道へ出る。数時間にわたる撮影を終えると、また首都高に入り、好きな音楽を聴きながら自宅へ帰った。

 バイクを買ったときも、それについての連載をしていた週刊誌での撮影のため、大黒ふ頭へバイクで向かった。台風の影響で強風がまだ吹いている日で、湾岸道路の長い橋のあたりが空いていた。あまりにも他の走行車が見えず、ゾンビ映画の世界のようだと思ったが、その日が祝日だからだと走っている途中で気づいた。

 というように、これまでの人生の中で、大黒ふ頭のイメージは変わってきた。子供の頃は、関東近郊での海釣りの聖地。大人になってからは、自動車やバイクで行く必然性と楽しみを有している場所というふうに。忘れた頃に、また印象も変わるのだろうか。

PROFILE羽田 圭介(はだ けいすけ・作家)

1985(昭和60)年、東京都生まれ。明治大学商学部卒業。2003(平成15)年、『黒冷水』で文藝賞を受賞しデビュー。2015年、『スクラップ・アンド・ビルド』で芥川賞受賞。他の著書に、『成功者K』『ポルシェ太郎』などがある。

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