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着工当時、レインボーブリッジは「レインボーブリッジ」という名前ではありませんでした。「東京港連絡橋」と呼ばれていたのです。
「東京港連絡橋」は、高速11号台場線の一部。高速11号台場線は、高速1号羽田線と湾岸線を直結する路線。当時これから建設される東京臨海副都心と都心とをつなぐ、また都心への交通集中を解消するという役割を持つ路線です。
高速11号台場線の役割はそれだけではありません。新しいエリアである東京臨海副都心にふさわしい、新しい景観を演出して多くの人々のいこいの場になるという役割も担っていました。交通の便利さと景観の美しさの両方を兼ね備えた橋を目指し、いよいよ建設がスタートしたのです。
着工前の東京港(12号線は現在の高速11号台場線)
東京港を代表するシンボルとなるよう、「東京港連絡橋」の景観についてはたくさんの議論が重ねられました。主塔のかたちはもちろん、橋自体の色やライトアップの仕方などの細かいところまで、たくさんの案のなかから決められました。例えば橋の色もさくら色やシルバーといった案もあったとか。その時代だけではなく、未来の東京港に調和する橋を目指した結果、現在も東京港のシンボルとしてたくさんの人々の目を楽しませています。
空と海と陸の交通の要所となる東京港周辺という立地から、設計、そして工法には様々な制約がありました。
例えば主塔の高さや橋の形。羽田空港のそばで主塔の高さに制限がありました。また入り組んだ湾内を大型船が通行するための航路の幅が必要でした。様々な検討がされた上、吊橋という形が採用されました。
そういった困難や制約を乗り越え、レインボーブリッジは建設されていきます。
レインボーブリッジの基礎は、また海面下46mの軟岩の上に作る必要がありました。
そのため、建設当時世界でも最大級のニューマチックケーソン工法によって橋の基礎が作られました。
ニューマチックケーソン工法は、空のコップを逆さまにして沈めるとコップの中に水が入ってこないという原理を利用した工法です。
コンクリートの箱のようなケーソンの中にコップの中と同じような状態の作業室を設けます。(図B)
土の中には地下水があるため、地盤を採っていくと水がでますが、作業室の中の空気の圧力を上げ地下水の圧力と同じに保つと室内には入ってきません。そして、沈めると同時にケーソン上部に壁をつくり、海面下46mまでケーソンをつくることができるのです。(図C)
「東京の海の玄関にふさわしい真っ白な橋の名づけ親になってください」これは、「東京港連絡橋」の名前を一般公募した際のパンフレットに書かれたキャッチコピーです。応募総数はなんと20,023通。そしてそのなかから選ばれた名前、レインボーブリッジが開通前の1992年11月に発表されました。レインボーブリッジは、そんなたくさんの方の想いがつまった虹の架け橋なのです。
着工から6年半、「レインボーブリッジ」と高速11号台場線がいよいよ開通します。開通した8月26日はあいにくの雨でしたが、華々しく東京港デビューを果たしました。
それまで1つのルートしかなかった都心環状線と湾岸線が南北で結ばれることで、箱崎ジャンクション付近の渋滞も緩和され、東京ベイエリアや羽田新空港と都心部との連結がスムーズになりました。また、東京臨海副都心へのルートの選択肢が増え、このエリアへの注目度が高まりました。
開通直前