首都高速向島線小松川線50周年記念特設サイト

あなたにとっての
向島線小松川線とは?

開通当時の思い出を 地元人 じもとびと に聞く

中央区日本橋中洲
増田智之 ますだともゆき さん
中央区日本橋五之部中洲町会会長
浅沼栄一 あさぬまえいいち さん
髙木亮 たかぎりょう さん
中洲町会青年部 部長
立岡幸夫さん
金刀比羅宮と6号向島線をパックに左から浅沼さん、増田さん、髙木さん
開通前は倉庫と料亭の街
ー 6号向島線開通(1971年)前、中洲はどのような街でしたか。
浅沼さん:もともと中洲は隅田川の浅瀬、葦の茂る湿地帯のような場所だったそうです。箱崎川は隅田川の浜町川分岐点付近と日本橋川の亀島川分岐点付近を結ぶ水運に活用された堀です。多くの船が行き交う、短いながらも重要な水運の中継点でした。箱崎川は6号向島線建設で埋め立てられましたが、戦後すぐの頃は底が見えるほど透き通っていて、私の子供時代は泳いで遊んでいました。当時は生活排水をまだ流していなかったので、川もきれいでした。
増田さん:明治から大正期にかけ、中洲には新派の名門劇場だった「真砂座」が開かれ、両国橋から新大橋、清洲橋をはさむ中洲付近は「大川端」と呼ばれて、大いに栄えました。第二次世界大戦で全てが消失しますが、戦後の動乱を経て、料亭・割烹が復活し、私が子供のころは倉庫と料亭の街としてにぎわっていました。夕方になると大臣クラスのお客さんがやってきて、久松警察署の警官が角々に立っていたのを覚えています。
大川に面した料亭からは手漕ぎの船でやってくる新内流しを見ることができ、料亭の周辺は仕出し屋、うなぎ屋、和菓子屋、せんべい屋などがたくさんありました。
大川(隅田川)の花火は、仕掛け花火を新大橋の上からあげていて、6号向島線ができる前は2階建ての家からもよく見えました。
関東大震災の後、慰霊のために始まった浜町音頭は毎年盛大に行われ、若い男女が夜遅くまで楽しんでいたのを覚えています。
6号向島線が開通すると、箱崎川は埋め立てられ、男橋・あやめ橋・女橋は姿を消しました。料亭の跡地には、高層マンションが次々に建設されるようになりました。
浜町や箱崎町と中洲は、今では当たり前のように行き来していますが、つい50年前までは橋を渡らないといけない、陸続きでなかったことが不思議に思えます。
開通前は倉庫と料亭の街
首都高の音が子守唄替わり
ー 6号向島線が開通したときはどのように感じましたか。
浅沼さん:箱崎川を埋め立てて6号向島線を造ったのですが、最初は川を埋め立てず川に橋脚を立てたので驚きました。
いざ開通したら、車の音がうるさい、と思いましたがすぐに慣れてしまいました。それより、浜町出口はわが家のすぐそばで、うちのために造ってもらったようなものだと思いました。
昔買った首都高の回数券をまだ持っていますよ(300円24枚つづり6,000円のもの)。先日、料金所で「これで支払えないか」と聞いたら、係員が「見たこともない」と言って使えませんでした(笑)。
増田さん:車の音がうるさい、は今もそうですね。しかしやっぱり慣れてしまったのか、今ではむしろ静かなところに行くとよく眠れないくらいです。首都高の音が子守唄替わりというわけです。
18歳で免許を取り、初めて首都高に乗って新宿に行こうとしました。銀座を通ったらすぐに「新」の字が見えたので「ずいぶん早いな」と思いながら降りたら「新橋」だった(笑)。
6号向島線の開通と前後して、ビル化が進み、中洲はマンションばかりのサラリーマンの街になりました。一戸建てはもう数えるくらいしかありません。時代の流れだと思います。
髙木さん:かつて回漕問屋だったところの駐車場にはトラックがたくさん停まっていました。川から荷物をひきあげてトラックに積んで首都高で色々なところに運んでいたのです。舟運から陸運へと変わっていく現われだったのですね。
首都高の回数券
中洲を住む人がイキイキとする「ふるさと」に
ー これまでで特に印象に残っていることや、これからの中洲について。
浅沼さん:せっかく1972年にT-CAT(東京シティエアターミナル)ができたのに、1978年の新東京国際空港(現在の成田国際空港)の開業まで開店休業状態だったのです。テナントの飲食店に泣きつかれて、よく食事に行った記憶があります。当時T-CATでは主な航空会社の搭乗手続きや出国審査の手続きができ、とても便利だったですね。
増田さん:今ではT-CATもあるし、成田にも羽田にもアクセスが良いので、中洲に住んでいるCAさんが多いです。早朝に大きなスーツケースを転がして歩いている姿をよく見かけます。
このあたりは東京メトロ、都営地下鉄が5路線と充実しているので、とても便利。結果として車を持っている人は減ってきていると思います。
中洲は、日本橋で、隅田川と高速道路にはさまれた街です。『ふるさと中洲』をスローガンにして、住んでいる方々に一つでも多くの良い思い出を持ってほしいと思っています。住んでいる方も、ここで働いている方も、良い情報や人脈を得ることで、住み良い中洲になると思って、町会を運営しています。
髙木さん:町会主催のお祭りなどの行事を「あやめ公園」で実施しています。高架下なので天気の心配をしなくていいのですが、晴れた日にも日光が当たらず影になってちょっと暗いのです。この地域は中央区日本橋、つまり都会です。けれど中洲の子供たちにとってみれば、ここが「ふるさと」です。「ふるさと」の思い出に青空があるように、首都高の高架に青空の絵を描けないかな、そんなプロジェクトができたら、なんて思っています。
首都高は50周年を迎えましたが、50年後の道路や街はどうなっているのでしょうか。これからも住んでいる方々がイキイキとして、この街に住んでよかったなと思ってもらえる街にしていきたいです。 
町会主催のお祭り
町会主催のお祭り
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